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amiamiが存在する理由を書きます

街の中で障害者に出会ったことはありますか?
障害を、個人の問題と捉える「医学モデル」に対し、社会全体の問題として捉える考え方を「社会モデル」といいます。「社会モデル」は個人の「できること」と「できないこと」は、社会の障壁によってもたらされると考えられており、近年障害の概念を変える新しい考え方として、広がりつつあります。
本日はそういったことにも触れながら
amiamiが存在する理由をご紹介いたします。

  1. amiamiの由来
  2. 生立ち
  3. 経歴
  4. サービスの展開
  5. 目指す世界

1. amiamiの由来
amiamiという社名ですので、

「amiami」は、お名前から来ているんですか?

とよくご質問いただきます。
一言で答えますとこの質問に対しては “Yes”です。

しかし、自分のことが好きだからということではありません。
この由来は過去に海外に住んでいたときの経験から由来されています。

1歳〜6歳、私はアメリカ合衆国に住んでいました。
ami という名前は当時、アメリカ人には馴染みがなく、よく「amy(エイミー)」と間違えて読まれました。

名前のことでからかわれたこともありましたが、
ある日、スペイン人の友達が

「ami」ってとても良い名前だね。

と褒めてくれたんです。
理由を聞くと、「amiはスペイン語で友達って意味があるんだよ」と教えてくれました。
初めて自分の名前を褒められてなんだかむず痒い気持ちでしたが、ずっと心に残っていました。

amiamiという名前は、
障害者も健常者も「良いものは良い」とお互いを認め合って楽しく共有できる編み目となりたいという思いが込められています。

2. 生い立ち
私には自閉症の妹がいます。私が9歳の時に、妹に高機能自閉症(現在の自閉症スペクトラム)という「障害」があると知りました。たった1人の私の妹、他に兄弟もいません。だから私にとっては「普通」の妹でした。少し私と違うところがあっても妹ってこうなんだと思っていました。妹には妹のすごいところや良いところがあって、私には私の良いところがあると思っていました。1歳〜6歳までアメリカで暮らしていたこともあり、外に出れば色々な人がいましたし、さまざまな言語や肌の色の人が溢れていました。

しかし、日本に帰ってきて、2人とも成長するにつれ、なぜか私だけが「普通」扱いされ、妹は「違う」と扱われることが増えてきました。その違いが「障害」によるものなのだと社会から植え付けられる感覚に大きな違和感がありました。そんな違和感をどこかに持ったまま、私は「普通」に高校生、大学生、社会人になりました。私は私なりに精一杯「普通」でいるため、それなりに努力しました。自然と私達は活動する場所や時間が異なっていき、いつしか私自身も仕事や環境の変化で自分以外のことを考えることもなくなっていきました。持っていた違和感に蓋をしたのです。

3. 経歴・開業の背景
違和感を蓋をしたまま、私は大学を卒業し、京都府中学校英語教諭に着任しました。生徒が大好きで毎日の授業準備、生徒指導、部活指導など、慌ただしく日々が過ぎていきました。ただ、生徒一人ひとりと関わる時間が少ないことへ限界を感じ、3年目の年度途中で辞職し、マンツーマン特化型の学習教室をを開業しました。

一人ひとりの個性を伸ばしながら生徒を育てたい!

そんな情熱と共に開業し、勤めていた中学校の近くで教え子を中心にひろがり、7年間経営しました。70名を超える子供達に接し、様々勉強させてもらいました。

ただ、開業4年目くらいには私のことを元々知る人ではなく、新しい生徒さんが入ってきてくれました。その中で、存続するために一番必要だったことは「受験指導」でした。

授業料を払ってくれるのは保護者ですので、その保護者のニーズを満たさなくてはなりませんでした。

マンツーマンで子どもたちの特性を見つける技術は身についていましたが、身につけば身につくほど
受験には必要ない特性とも向き合わないといけませんでした。

結果的に、子どもたちの特性を無視して、受験のためにどの生徒にも同じ知識や思考を身につけさせる授業になっていきました。

例えば、英語ですと
「この子のキャラクターを表すなら、きっとこういう表現の方が良いのだろうけど、受験には出ないから教えないでおこう」
といったところです。

そんなことを続けているうちに、だんだんと

同じロボットを作っている感覚

になっていきました。
子供にとって良いことをしているのだろうかとずっとモヤモヤしていました。

そんな時、コロナ禍を迎えました。

いままで積み上げてきたつもりであった授業が全てオンラインに切り替わり、
緊急事態宣言中は授業もままならなくなってきた時に、時間ができたので実家に帰りました。

そこでふと考えたのです。

「あれ、実家に一人ロボットになっていない人間がいる」と。

妹は自宅の2階でひたすらにペンとパソコンに向かい、耳にはイヤホンをつけ、鼻歌(実際は歯の隙間から音を出すので小さい頃から歯笛と名付けています)を歌いながら一心不乱に創作していました。

「やらねばならないこと」と「やりたいこと」の狭間で

もがいていた私は、妹が通う福祉施設を訪れました。

光が差し込む大きな部屋で、妹はイヤホンをしながら、

楽しそうにひたすら手を動かし、絵を描いていました。

一心不乱に何かに没頭するその姿は

何かに取り憑かれているようで、

神経質で、一生懸命で、美しかった。

その場所には他にも、大きな声を発しながら、歩き回りながら、

机をたたきながら、「それをせずにはいられない」何かをしながら

自分の好きなことや得意なことをする人たちがたくさんいて、

みんな幸せそうでした。

そこは一生懸命「普通」でいようとした私を癒してくれる場所でした。

私の妹は大好きなマンガを作っていました。

彼女はひたすらに自分と向き合っていると、恥ずかしながらその時初めて気づきました。

その光景と壁一面に掲示された作品を見て、

「この世界を知ったら元気になる人がたくさんいる」

という確信と、決意が生まれました。

4. サービスの展開
①クラウドファンディング
最初に始めたのは、クラウドファンディングでした。

福祉施設 京都市ふしみ学園と創業100年以上の馬場染め工場とタッグを組み
「ふろしきスカーフ」は発表いたしました。

「ポピー」 日吉雅治

「にじ」 肥後深雪

クラウドファンディングで合計130万円のご支援をいただき、無事プロジェクトとしては達成した形となったのですが、課題が浮かび上がりました。

課題
アートをプロダクトにすることによってお届けできる作品が極端に限られる

アートをプロダクト化することで、プロダクト製品として合うアートかどうかを考えなくてはいけなくなり、お届けできるアート作品が一部となってしまうという課題が浮き彫りとなりました。
例えばプロダクトですと、抽象的な作品のみしかお取り扱いが難しいというところが一番大きかったです。
私が本来お届けしたかったのは、アーティストの皆さんが自由に制作された作品ですし、そこに価値があるわけですから、極端に作品の幅を狭めて枠に当てはめてしまう形として事業展開を続けることは結果的にアーティストたちの表現の幅に厳しい制限を設けることにつながるという課題を感じました。

②アートのレンタル
そこで考えたのはアーティストの世界観をお伝えできる、アートのレンタル。

お察しの通り、私自身アート系の大学出身ではないので今思えば、よくそんなところに飛び込んだと思います。
ただ、単純に作品たちを
・自由に選べて
・自分が好きなタイミングで交換できて
・お部屋が美しくなる
こんなサービスがあったら最高だなと考えまして。

原画のレンタルを当初は構想しておりました。
そこから、年間鑑賞数2000作品以上をはじめました。
そして、アーティストやご家族、作品を管理されている福祉施設関係者のお話を伺いました。
著作権についても専門家と打ち合わせを重ねていき、
アーティストたちが「原画を手放すことの重大さを理解しきれないままレンタルとなる可能性が高い」
という結論に至りました。

さらに、家に絵を飾ったことがなかった私には気づかなかったのですが、
原画は、
①額装が必要
②重量が大きいため釘の打ち込みが必要
③サイズがバラバラ
ということで、私がイメージするアートの軽やかさを実現するには難しいとも考えました。

そこで、印刷されたキャンバスをお届けするという「答え」に辿り着きます。
結果的に
①額装不要
②押しピン📌で飾れる
③お部屋に最適なサイズを選べる

というサービスとなりました。
結果的にシャーターにも取り付けられる軽やかなアートサービスが実現しました。

Before

After

5. 目指す世界

私は、本来は「障害者アート」という言葉が好きではありません。
多様な個性の人たちがいる社会に、これからは障害という言葉や概念はマッチしないです。「障害者アートだから」という前提で作品に接すること自体、社会課題だと考えています。


amiamiはアーティストたちの独自の感性を伝えています。

amiamiがお届けするアート作品はアーティストが生命をかけて自分のことを大切にしながら生み出す、アートです。


「アート」を通してアーティスト独自の世界の見方を知っていただくことで、
今の社会に息苦しさを抱えている人に

「人に無理に合わせる必要がないんだ」

というメッセージをお届けしたいと考えています。



現代社会で働く人たちは日々やるべきことに追われ、息つく間もない日々を過ごしています。
自分の考えを押し殺し、
無理に人に合わせようとしたり、
自分が正しいかわからなかったり、
苦しい思いをしている方も多いです。

人々の日常にアーティストの作品たちがそっと寄り添う。

そんな世界になったら、少し社会は生きやすくなっていると信じています。

6. 最後に
最後まで読んでくださってありがとうございます。
最後に大きいことを掲げましたが、私は決して崇高な人間ではありません。

ただ、幼少期に妹が自閉症だと診断され

「両親が大変悲しんだ姿」を見ております。

ただ、私にとってはどうして悲しむのか当時は理解できませんでした。

今、子供を持つ身となりその理由がなんとなくですがわかってきたような気がしております。

私の最大の原動力は「自分の子供が障害者だとわかったときに悲しむ親が生まれない社会をつくる」というのが本心でございます。

ご一読いただき本当にありがとうございました。

アート作品の一覧がこちらからご覧いただけます。
https://www.amiami.shop/designs-arts-1

これからも合同会社amiamiをよろしくお願いいたします。

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